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  スポーツをしたいと思えるきっかけ作り 野島弘(その2)

スポーツをしたいと思えるきっかけ作り 野島弘(その2)

「やったことのないアルペン競技の大会だったけれど、おもしろそうだなと思い躊躇なく参加することにしました」。 練習すらしたことないレースに果敢にチャレンジした野島。初年度は惜しくも表彰台に及ばず4位(ただし、3位と20秒遅れ)。翌年も参加するも、またしても表彰台は遠く及ばず。 そこで、北海道へ武者修行に出る。向かったのはテイネハイランドスキー場(現・サッポロテイネスキー場)。世界的な冒険スキーヤーにして、レジェンドスキーヤーである三浦雄一郎氏が主宰する「ミウラ・ドルフィンズ(以下、ドルフィンズ)」の門をたたいたのだった。快く迎え入れられた野島は、ドルフィンズでの経験が、その後の人生に大きく影響したと語る。 「スキーを始めて3年目の頃でした。ドルフィンズのメンバーが中心となってSAJ(スノーエアジャンキー)という、スキームービーを制作した。北海道の旭岳で撮影したのですが、このメンバーに僕もいれてもらったんです。その当時、スキーブームの只中にあって、そうそうたるスキーヤーが名を連ねていました。そして、彼らは障がい者ということを気にも留めない様子で、普通に僕に声を掛けてくれました。ロープウェイを2基乗り継ぎ頂上へ行き、そこからスタート位置までは、首謀者でもあった熱血プロスキーヤーがハイクでボクを引き上げること40分。飲み込まれそうな絶景と吸い込まれそうな絶壁が視界いっぱいに広がり僕の心臓の鼓動は高鳴なりました。決してひとりではすべることができない大自然の急斜面を、特別な仲間たちのサポートで気持ちよくドロップイン。息ができないほどの雪しぶきを浴びながら、斜面をすべり降りたのです。この経験で、スキーを心底楽しいと思えたし、人との関わりというのはとても大切だなと思いました。こうしてスキーを愛し、人情にはまったあの経験がなかったら、今までスキーを続けていたかわかりません」。 旭岳の経験が野島を大きく変えた。自分がおもしろそうと思えるスポーツは、常にチャレンジすることにした。そして、それが楽しければ、精一杯の行動力で多くの障がい者に伝えたいと考えるようになった。スポーツは最初の出会いが大事。だから、まずは〝心から楽しい〞と思えるようにスポーツを伝えていきたい。うまくなるならないはその後だと話す。 チェアスキーに車いすゴルフ、カヤックにバドミントン、最近はパラグライダーに挑戦しようと、できるタイミングを探っている。このように野島は、自分がおもしろいと思えたスポーツを、全国のいたる所でたくさんの人たちと楽しんでいる。その光景は、野島のフェイスブックにあふれている。 「障がいをもっている人が、僕を見て〝一緒にいると楽しそう〞と思ってもらえればいい。誰かが外に出るきっかけになるような存在になりたいと思っています」 それにしても、彼のアグレッシブな行動力は半端ではない。「普通の人は、そんなに遊べないのでは? 時間を作るの大変だし」と、野島に問いかけてみたら、次のような言葉が返ってきた。 「正論ばかり並べていても、前には進めない。何かしたいと思ったら、まずは動かないとね(笑)」   写真/樽川智亜希 取材・文/編集部


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