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  金メダルのために、走り続ける 官野一彦(その1)

金メダルのために、走り続ける 官野一彦(その1)

昨年、官野は長年務めた千葉市役所を退職して本場のアメリカへ武者修行に旅立った。32歳という社会人として責任ある仕事を任されることが増える年齢で、人生をウィルチェアーラグビーに捧げる覚悟を決めた。 「(日本代表が)新しい監督になってから試合に出してもらえなくなった。このままでいいのかという危機感をもっている。アメリカに行って、厳しい環境で自分を鍛えたい」 これまで千葉市役所の職員としては異例の待遇を受けていた。車いすの街づくりを掲げている熊谷市長は、アスリート雇用としての就労環境を整備するために条例改正までして官野を応援してきた。日本代表の遠征は公務派遣扱い、週の半分はトレーニングに費やせることになっていた。 そうした職場のサポートも受けながらパラリンピックに挑戦してきたが、さすがに数ヶ月のアメリカ武者修行は休職扱いになってしまう。 「これでは続けられない。家族の生活にはお金が必要だし、ウィルチェアーラグビーのために仕事を失うのは本末転倒だから」 そして退職を決断した。 「僕は生活のためにスポーツをしている」 これが官野のスタイルだ。自分のやりたいことをして、家族と生活していく人生が理想だ。プロ野球選手になりたくて野球の強豪高校に進学したように、少年時代からの夢を今でも追いかけている。 東京で金メダルをとるためにアメリカ修行は譲れない。そのためにはアスリート雇用で転職をするしかない。そうした決意を周囲に伝えると、数社から誘いを受けることができた。面談をして、お互いのパラスポーツへの理念と条件が一致したダッソー・システムズ株式会社へ入社することにした。 練習環境が整い、昨年10月から約半年間の予定でアメリカのクラブチームに合流することができた。初めて海外チームでプレーしたことからは、東京に向けて多くの収穫があったという。 「自分のプレーが世界でも通用することを確認できた。そして彼らの強さは『ハート』だと気づいた」 官野は障がいの重い選手だ。そのため得点を取りに攻める障がいの軽い選手をアシストする役割を担っている。野球で例えると6番レフトだろうか。それでもコートではパワーのある軽度の選手にタックルをしかける果敢さが求めれる。そうすることで得点を狙う選手を牽制するのだ。アメリカでは自分よりもパワフルな相手にひるまず挑んでいく『ハート』を学んできたという。 「チームのために、もっと勝負していく選手になりたい」語気を強めてそう話す。 官野は22歳の時サーフィン中の事故で頸椎を損傷。車いす生活になる。そしてある日、近所のディーラーが開催していた福祉車両イベントに来てい来ていたウィルチェアーラグビー選手に誘われた。 「家に戻ってからパソコンで検索するとアテネパラリンピックに初出場したという記事が出ていた。僕も日本代表になれたら、かっこいいなと思って」 そういった軽い気持ちでウィルチェアーラグビーを始めてみたが、夢中になるまでにさほど時間はかからなかった。


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