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  年齢や障害の有無を超越してスポーツを楽しむ (その2)

年齢や障害の有無を超越してスポーツを楽しむ (その2)

「世界でいろんなスポーツを見てきたけれど、パラアイスホッケーは障がい者スポーツのなかでも競技レベルが高い。クラス分けなどもないので、観戦するにも高度な知識は不要です。アイスホッケーと同様に、選手も観客もゲームに夢中になれる。そこが魅力でした」 始めてすぐに強化指定選手に選出される。しかし、競技経験はゼロ。短期間での上達を求めて、再度渡米する。イリノイ大学時代のチームメイトがいるシカゴのチームで武者修行した。2013年にソチパラリンピック最終予選に出場。2010年のバンクーバーパラリンピック準決勝でホームのカナダを下し銀メダルを獲得した日本だが、この大会でソチへの出場権を逃した。 その後、2015年の世界選手権にも出場するが、日本はカナダに0│ 17という大敗を喫して、Bプールに降格。日本のパラアイスホッケー暗黒の時代に、堀江は放り込まれていたのだった。 堀江自身は、この頃から左肩に痛みを感じるようになり、選手としてプレーを継続させるために15年12月に内視鏡手術を受けている。 「1年間はまともにスポーツができる状態ではありませんでした」 ひたすら地道なリハビリを続けた。16年に北海道・苫小牧で行なわれたBプール世界選手権に出場する時には、直前合宿でやっと氷に乗れたという。 「だから、正直、パラアイスホッケーでは、今でも主戦力という意識はありません。でも、傭兵として力を尽くすことはできる」 世界を舞台に暴れまわっていた車いすバスケでは、日本代表としてパラリンピック出場という機会には恵まれなかった。“傭兵”というポジションで、初めて冬季パラリンピックに挑戦することになる。 「パラリンピック出場は長年思い描いてきたひとつの目標です。実際にその舞台に立ったら、どんな感動があるのか。そこは楽しみです」 一方で、堀江にはいくつもの目標がある。 「たとえば車いすバスケで健常者プレーヤーも4・5ポイントの選手として出場できるようにして日本のリーグを作る。ヨーロッパではそれがすでに実現しています。実際、健常者で車いすバスケを楽しんでいる人は多い。健常者が加わることで競技人口は一気に増えます。必然的に競技レベルも上がる」 協会設立理事でもあった車いすソフトボールでは健常者や障がい児などどんな人も参加できる仕組みを作っている。日本人にとって野球は国民的スポーツ。だからソフトボールへの親和性は高いのだ。 「パラリンピックの種目にするという働きかけもしていきたいですが、さまざまな人が一緒に楽しめる環境を継続させることはすごく重要だと考えています」 さらに、その土台を作るのは、子どもの体験機会だと強調する。 「それこそが、一番やりたいこと。東京パラリンピックが決まって機会は増えているけれども、まだまだ日本には障がいをもった子どもがスポーツする環境が圧倒的に少ないんです」 堀江は街を歩いていても、現役選手としてスポーツの現場にいる時にも、子どもの姿を見つけるとすかさず近寄っていく。 「こんなスポーツをやってみないって、子どもをナンパするのがライフワーク(笑)。変な人だと思われてるだろうけど」 現役の選手としてさまざまなスポーツに正面から取り組み、さらには健常者、障がい者の壁を超えたスポーツのチャンスと環境を創出する。堀江航の描く未来は、とてつもなく大きい。 取材・文/宮崎恵理


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