第29回 作家 松井 計さん

半年あまりの路上生活を包み隠さず描いた「ホームレス作家」(幻冬舎刊)
上京後,作家の道へ
 平成元年,父親が亡くなって天涯孤独になったのを機に,自宅も店舗もすべて整理してふたたび上京しました。雑文書きがそこそこの収入になってきたのと反比例して,古本屋の売り上げが目に見えて落ちてきたんです。急速な過疎化によって,町の人口そのものが年々減ってきたことが原因です。
「このままこの町にいても将来の展望は開けそうもない。だったらもう一度,東京に出てライターとしてチャレンジしよう。しばらくは処分したもので何とか生きていける」
 予測通りといえばそれまでですが,ライターとしての依頼はほとんどなく,蓄えを食いつぶしているような日々でした。そんなある日,知人の紹介で,ある執筆集団に加わることになったんです。ひとりで小説を書くのではなく,数人のグループで手分けしてひとつの小説を書こうというものです。最初はこれまでにはない新しい小説の書き方ですし,こちらも面白がっていたようなところも正直ありました。おまけに歴史に「もしも」ということを持ち込んだ戦争シミュレーション小説という分野が当時ちょっとしたブームになっていたこともあって,グループとしての仕事が急速に増え,原稿料で生活するという上京以来の夢を叶えることもできるようになりました。このときは本当にうれしかった。ところがしばらくそんな仕事をつづけているうちに次第に空しさを感じるようになっていったんです。
「最初から最後まで自分の手で書きたい。自分の考えたストーリーを途中で他人に変えられたくない」
 ひとりになった自分に仕事の依頼があるだろうかという不安もありましたが,平成七年にグループを抜け,独立することにしたんです。不安は杞憂に終わり,その年のうちに書き下ろしの単行本が四冊,翌年は六冊と,順調な滑り出しでした。三年目には作家活動のかたわら,都内の専門学校で「シナリオ術」の講座を持ったりもしました。この間,結婚もし,まさに未来は輝いていましたね。
 平成十年を過ぎたあたりからでしょうか,そんな順調な歯車が少しずつですが狂い始めたんです。住宅トラブルにともなう短期間での二度の引っ越しに,妻の出産が重なり,妻の精神状態が不安定になったんです。妻も私同様すでに両親と死に別れている身ですから,親に頼るということもできない。私が家事も育児もすべてをこなさないと日常生活が成り立たなくなってしまったんです。こうなると原稿執筆に集中することができず,締め切りを破ることが増え,当然,出版社からの原稿依頼も減ってくる。「このままではいつか大変なことになる」ということもわかってはいましたが,どうしようもなかったんです。


新宿警察署で一夜を明かす
 平成十三年一月十七日,ついに住んでいた公団住宅を強制退去させられる日がやってきました。出版社に預けてあった書き下ろしの小説が出版延期となり,滞納していた家賃を印税で払うことができなかったんです。退去当日,一番気にかかったことは妻のことでした。身重の妻には何も知らせていませんでしたから。こんな状況の中で「何でまた二人目の子どもをつくったんだ?」と思われる方もいるかと思いますが,二人目の子どもが生まれれば,妻が精神的に立ち直るかもしれないという,ワラにもすがる思いが私にはあったんです。公団からは「明日の午前中に強制執行する」という連絡を受けていましたから,早朝,手に持てるだけの身の回り品をまとめ,妻と二歳の娘を「千葉の親類の家に泊まりに行こう」と言って連れ出しました。しかし,最後の頼みの綱だったその親戚からも断られ,私たち親子はふたたび東京へと舞い戻ることになりました。
 万策尽きた私は,寒さをしのぐために新宿警察署のロビーに一家三人泊まらせてもらい,翌朝,新宿区役所に飛び込み,妻子だけでも一時保護してもらえるようお願いしました。福祉施設で預かってもらえることになったときはホッとしましたね。自分ひとりだけなら二,三日は何とかなると思っていたんです。ここで二,三日と言ったのは,こんな状況にあっても自分が「ホームレス」だとは少しも思っていなかったんです。別の出版社にも単行本一冊分の原稿を預けてあり,その印税を前借りすればいいくらいの気持ちでいたんです。その印税でアパートを借りて,すぐにでも妻子を引き取ろうと考えていました。ところが悪いことは重なるもので,二十キロ近く歩いて行ったその出版社でも出版中止になったということを聞かされたんです。もうどこからもお金が入ってくるあてがなくなったそのときですね,自分が正真正銘の「ホームレス」なんだと自覚したのは。


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