第9回 フリーアナウンサー 井口保子さん

自分をコントロールできない人は競馬をやる資格はありません
アナウンサーと学生の二足のわらじ
 採用されてからが大変でした。大学と会社を両立させなければならない。なるべく夜の時間帯の仕事を中心にさせてもらいましたが,もう眠くて眠くて仕方がなかった。早朝,家を出て大学に行き,授業が終わるとラジオ局に直行の毎日。一週間に一日は泊まり勤務に入り,会社から大学に登校していました。
 それでもなんとか卒業はしようと教育実習にもいきました。教員養成のための大学ですから教育実習を終えないと卒業させてもらえないんです。教育実習はふつう四週間程度連続で学校に通うものなんですが,私のばあい,毎日通うなんてことは不可能ですから飛び飛びで通わせてもらい,三か月ぐらいかかりました。教習所に運転免許を取りにいったのと同じでしたね(笑)。
 アナウンサーになって最初のころはほんの二,三行の原稿を読むことが中心です。それでも当時はほとんどの番組が生放送で,番組の間に入るコマーシャルもこれまた生放送。その二,三行の原稿を読むためだけに何時間も待機していることもよくありました。一日の始めと終わりに流れる「放送開始、放送終了」のアナウンスでさえ生放送の時代でしたからね(笑)。
 アナウンサーの仕事に馴れてからは本格的に仕事を与えられるようになりました。私のばあい,音楽番組が多かった。「夕べの音楽」とか「日曜コンサート」,「魅惑のクラリネット」といった番組も担当していました。アナウンサーになりたてのころの失敗で覚えているのは,あるホテルのコマーシャルを番組中にいわなければならないんですが,私は「一泊いくら」というところを,自分で気づかないまま「一発いくら」といってしまったんです(笑)。向かいに座っている先輩の男性アナウンサーが必死に笑いをこらえているんですが,私は何がおかしいのかさっぱりわからない。私は奥手でしたからね(笑)。  
 ほかにもマイクの前にすわってから別の原稿をもってきてしまったことに気づいて全速力で階上のデスクまで飛んでいき,正しい原稿をわしづかみにしてふたたびマイクの前にかけ込んだこともあります。放送時間にはぎりぎり間に合いましたけれど,ゼーゼーハーハーと息があがるのを必死にこらえて原稿を読みました(笑)。アナウンサーという仕事も失敗を積み重ねながら一人前になっていくものなんですよ。

競馬との運命的な出会い
 昭和四十三年,競馬好きのアナウンサー仲間に連れられて東京競馬場にダービーの観戦に出かけました。競馬場も初めてなら,馬を間近で見たのも初めての体験です。「馬のことなら任せておけ」といっていた友人たちも,着いたとたんに馬券に夢中。誰も何も教えてくれない。仕方なく人波にもまれながらパドックで馬を見ていたんですが,周回している馬とちらっと目があったんです。タニノハローモアという馬でした。
 当日は三強といわれたマーチス,タケシバオー,アサカオーが抜きんでた人気を集めていたんですが,私には何のことやらちんぷんかんぷん。そこで,タニノハローモアとタケシバオーの連勝馬券をとりあえず百円買おうと馬券売場に向かったんですが,各窓口には長い行列ができている。そんな中,ひとつだけ空いている窓口がある。なんでこの窓口だけ空いているのかといぶかりながらもその窓口にいってみると,そこは特券(千円券)専用の窓口だったんですね。「うわー,しまった」と思ったんですが,いまさら別の窓口に並ぶのも恥ずかしい。「ええい,ままよ」と特券を一枚買ってしまったんです(笑)。
 さあ,レースが始まります。そのときになって友だちは私が横にいることを思い出したのか,「どの馬を買ったの」と聞いてくる。「タニノハローモアとタケシバオー」と答えると,クスクス笑い出した。「ビギナーらしい馬券だねえ」と。ところが競馬とは不思議なものです。ダークホース,タニノハローモアが大逃げを打った。どこでつかまるのか。三コーナーか,四コーナーか。あるいは直線に入ってからか。ところがタニノハローモアの脚はまったく衰えず,とうとう二千四百メートルを逃げ切ってしまったんです。五馬身差の圧勝でした。人気のタケシバオーが二着を確保するのがやっとという結果にスタンドのファンは茫然自失。私を笑った友人たちも悔しそうに顔をゆがめている。ダービーの払い戻しは何と五万七千三百円。その当時もらっていた給料より高かった(笑)。帰りは渋谷に出てみんなで豪華な夕食をとったことをいまでもはっきりと覚えています。
 以来,私は競馬のとりこ。会社の行き帰りに駅の売店で競馬新聞を買っては研究する日々。当時は女性で競馬新聞なんて買う人はほとんどいませんからね,売店のおばさんが気を遣って毎回袋に入れて渡してくれましたね(笑)。そんな時代が二年ぐらいつづきました。

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